「どん底を味わった」 糖尿病により失明した元トップ ... | 片目 失明 生活保護

糖尿病の合併症により失明し「180度変わってしまった」というM ... 生活保護費とMさんの障害年金をあわせた約22万円で、なんとか生活は ...更新日:2018.07.18「どん底を味わった」糖尿病により失明した元トップセールスマン当事者インタビュー:Mさん(男性・51歳)#神奈川#50代#糖尿病#網膜剥離働き盛りを襲う国民病糖尿病が「生活習慣病」と言われていることはみなさんもご存じでしょう。

厚労省の調査によると、いまや糖尿病有病者と予備軍をあわせるとその数は約2,000万人にものぼります。

「暴飲暴食」「運動不足」「過度なストレス」など現代人のライフスタイルの乱れが大きく影響していると考えられています。

仕事のつきあいで朝まで飲んで帰れなかった残業つづきできちんとした食事をしていない休日は疲れ果てて寝てばかり働き盛りの人ほどあてはまるのではないでしょうか。

Mさんも、セールスマンとして絶頂期だった42歳の時に糖尿病を発症しました。

糖尿病の合併症により失明し「180度変わってしまった」というMさん(男性・51歳)のこれまでについてお聞きしました。

上司に見込まれて上京Mさんが生まれ育った九州から川崎にやってきたのは、首都圏の営業所からお呼びがかかったことがきっかけでした。

福岡支店での営業成績が抜群に良かったことを見込まれ、「お前ならこっちでトップセールスマンになれる!」と誘いを受けました。

最初は、妻とまだ小さい2人の子どもを連れて転勤することに二の足を踏んでいましたが、半年間にわたり再三のラブコールを受け続け、ついに新天地でのスタートを決めました。

明るい性格でトークも上手なMさんは、得意先や職場の先輩にも受けがよく、「お前、おもしろいな」とすぐに売れっ子営業マンに。

周囲に認められ、新生活は好調な滑り出しを見せました。

「つきあい=仕事」だったちょうど時を同じくして、日本はバブル景気に突入。

朝から晩まで働きづめで、忙しい毎日でしたが、その分給料は右肩上がり。

やがては課長職まで昇進し、毎月妻には十分なほどの生活費を渡すことができていました。

休日は愛車の外車で出かけたり、家族で海外旅行にも行きました。

しかし、売上がどんどん伸びるとともに、お酒の席もみるみる増えていきました。

人気者のMさんは、取引先との宴席や社内の飲み会にひっぱりだこ。

上司や先輩にとって「場を盛り上げてくれる」欠かせない存在でした。

毎晩のように新宿・渋谷に繰り出しては、フラフラになるまで飲み明かす日々。

それでも「お酒を飲むのが好きだったし、お世話になっている人に喜んでもらえることが嬉しかった」と言います。

気づかないうちに進行していた不規則な生活を続けながらも気持ちは充実していたMさんを突然の悲劇が襲ったのは、厄年42歳の時でした。

「朝起きたら視界がぼやけていた」おかしいなと思いながらも、仕事のスケジュールはびっしりで医者にいくような時間はなく、ついそのまま放置してしまいました。

糖尿病は軽度のうちは自覚症状はなく、気づかないうちに進行してしまう病気です。

その後会社の健康診断を受けたMさんは、医師から「急いで大きな病院に行くように」言われます。

「忙しいのに・・・」と思いながら、なんとか上司に休みをもらって受診した総合病院で聞いた診断名は「糖尿病網膜症」網膜に裂け目ができていて、レーザーで裂け目を塞がないと網膜剥離に進行してしまう危険な状態でした。

左目を失明し、右目も次回のレーザー手術の予約をとって帰宅したMさんでしたが、その翌日「ブチっ」という衝撃を左目に受けました。

あわてて病院へ向かいましたが、検査の結果、網膜の血管が破れて出血し網膜が剥離していることが分かりました。

すでに手遅れで、症状は進行し、ついにはMさんの左目は光を失ってしまいました。

残された右目も手術により最悪の状態はまぬがれたものの、かすんで見えるようになり、色が識別できなくなりました。

身体障害者手帳1級の交付を受けたMさんは、営業車を運転するどころか、1人であるくことすらおぼつかない。

「もとの生活にはもどれない」と、誰にも事情を打ち明けることができないまま、自ら会社を辞めました。

絶望と離婚稼ぎ手のいなくなった一家は、車やバイク、


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